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カレーコロッケ

草笛ふぉーえばー

2020年11月16日 Comments (0) Views: 16 Diary, 未分類

コロナ禍になってコーヒーを飲んでいません

喫茶店や打ち合わせで飲むことはあるのですが、豆を買ってミルで粉にしてそっとお湯を注ぐということをぱったりとやめてしまった。どうしてなのかなぁと思うのだが、これといった理由もない。途中からはちょっとやめてみようよとコーヒーがなくなることでの生活の変化・不具合をチェックしたくなっている。しかし、今のところ、カフェイン中毒からくる禁断症状もないし、無性に飲みたくなる、ということもない。

コーヒーを飲むのをやめてから、いかにコーヒーを飲むことに労力を注いでいたことに思い至った。お湯を立てる間に、豆を計り、ミルに入れて粉にする。お湯が沸いてきたらコンロを止めて、フィルターをセットして粉をフィルターに入れる。少し振って粉を均等にして、お湯がぶくぶくと言っていないかを確認したら、真ん中にすーっと細くお湯を注いでいく。少し、豆を蒸らす。また、細く湯を注ぐ。ぷっくりと膨らんできた「ハンバーグ」を壊さないように、注いだり、注ぐのをやめたりを繰り返す。ときどき、注ぎ過ぎて、ハンバーグが崩壊する。それを見て、「なんか今日は悪いことがあるかも」と無駄に考える。フィルターを軽く上げて、コップにどれくらいコーヒーが入っているか、確認して、適量なら、フィルターを流しに入れる。コップの周りをふいて、ダイニングチェアに腰を下ろし、香りを嗅いで、目をつぶる。一口飲んで、また目をつぶる。いい香りと苦味が口から鼻に抜けて、芳醇な香りに包まれて、「今日も頑張ろう」って思う。

なんだかここまで書いてきて、自分のことを励ますためにコーヒーを飲んでいるのではないかと錯覚してしまうほどに、コーヒーによって何かを奮い立たせて、日々頑張っているような感じになっている。でも、ボクはそんなに悲観的な性格でもないし、コーヒーで奮い立つほどに軽い心でもない。まぁ、順を追ってみたらそんなことをしてるなと思ったまでです。

そうだ、思い出した。コーヒー豆がなくなるのがなぜかいつも買っているお店の定休日にかさなることが多くて、それならばとやめてみようと思ったのが始まりだった。月曜日なのだが、あーあ、また月曜日に豆がなくなってしまった。買いに行けない。朝、そんなことを思うことがあった。ないならなくてもいいのではないか。と思ったわけなんですよね。それで生活からコーヒーを外してみました。

それから半年くらい。とくに困ったということもないし、コーヒーを買わない分、お金が手元に残っているということもない。不思議なんだけど、何も変わっていない。あの苦味が欲しいと夢でコーヒーを飲むこともないし、むしろ、これから電車に長く乗るからコーヒーはダメだなと思うことが多い。利尿作用がすごく出るようになった気がする。ビールのほどではないけれど、コーヒーを飲んでもかなり尿が近くなってしまった。これもちょっと距離を取った原因かもしれない。

若いころに彼女との時間が重くなった時に、ちょっと距離を置いてみようという言葉を聞いたことがある。残念ながら自分は距離を置くということはイコール別れるという意味で、オブラートに包んだ別れの言葉だったわけだけど、もしかしたら距離を置くと、相手のいいところが見えてくるわけで、距離を置く前よりも好きになるパターンもあるわけで。そんな意味で、距離を置くことで、コーヒーを渇望するわけでもない自分に気が付いたりしました。ということはもしかすると、コーヒーとは当分の間、お別れになってしまうかもしれませんね。

そうそう、世の中には意外とコーヒーが飲めない人がいますよね。彼らが告白したときに「えー、おいしいのに」というのは相手の気持ちがわからない薄いやつなんですけど、もう少しすると、コーヒーが飲めない人に仲間入りするのかもしれません。昔は結構飲んだんだよ、っていう自分が近い未来にいたりして。そうそう、たばこもそうですね。昔は結構吸ってたけど、今は服に匂いが付くのもいやだったりします。

コーヒーがない生活。不思議だけど、苦味がない人生なんて考えられないと思ったときもあったのに、今では苦味がない生活を普通に過ごしていたりします。

っていう話でした。ここまで読んでくれたアナタ、ありがと。

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