バンコク ドンムアン空港 1枚目 タクシー

バンコクに到着して、到着ロビーを出る。「タクシー?」とそれこそ3年前にはたくさんのタクシードライバーに声をかけられたのに、このときはほとんど声をかけられなかった。ウーバーの影響かな?

便利になるってことは偶発的な出会いがなくなるんですよね。アプリでタクシーを呼んで、行き先もドライバーは知っていて、とくに話すこともない。それはとても寂しいことですね。

押しが強いドライバーだけど、ついて行ったら運転もうまくて、いつもよりも早かった。LINEの交換をして事あるごとに呼び出したらすぐに来てくれる。最終日の夜はおいしいローカルのレストランに連れて行ってくれた。。。という思い出もできない。

毎度毎度メーターを使ったか?ここまでいくのか?(バンコクはとくに行き先を確認して乗らないと「オレはそこにはいかないから降りて」ということにもなる)メーターの値段はバーツだよね?というめんどくさいけれど、挨拶のように交わされるその確認が必要なくなるのかもしれないなぁ。それって、とっても寂しい。

前回、取材を一緒に回ったカメラマンは「毎度面倒だね」というけれど。昔から旅行が好きな人はその面倒を乗り越えることこそが旅の楽しみで、タクシーとのやり取りが面倒だとは思ったことがないんだよな。それを説明したところで、彼はふぅーんとしか言わないだろうけど。海外旅行はこんなタクシーとのやり取りが面倒と思う人たちによって、確実に楽しさは減っているように思います。まぁ、旅行を楽しみ方も人それぞれだから、しょうがないけど。

他人から面倒と思われることを続けるのは愛情でもある。なくなると寂しくて、あぁ、実はとても愛してたんだと気が付くことに近いですよね。

初めての街角に立って、行き先を確認するときのドキドキを、トキメキととるか、それとも不安と取るか。それによって人生は大きく変わるような気がするけれど、海外旅行もそうで、不安と取る人によっていろいろなものが変わってきちゃったなと思うこともあります。地球の歩き方を地球の迷い方という人たちとか。海外旅行で失敗しないようにガイドブックを手に取り、スマホをもって目的のレストランで食事して、道に迷うこともなく帰国する。それはそれでいいんだけど、自分はそうではなくて、偶然の出会いとか、発見とか、それこそトラブルとかがあってこそ旅行だと思うタイプなんですよね。

まぁ、テクノロジーが旅をぐっと面白くしてくれるのもたしかで。SNSでつながった人と旅行先で会い、話をする。google翻訳を使って、ローカルの人と会話する。それはとても素晴らしくって、テクノロジーってやつが橋をかけてくれてコミュニケーションできて、楽しい思い出ができる。無数にある言葉を超えて、意思の疎通ができて、やっぱり同じ人間じゃんと思えること。これはすごいなぁ。

なんだか、取材時1枚目の写真を補正してブログにアップしたら、そんなことを考えました。あー、海外旅行がしたいなぁ。年末くらいにはいけるといいのですが。

バンコクの発着便を調べたら国際線はすべてキャンセル。国内線のみ飛んでますね。
このリストで「CANCELLED」の文字が消えるといいなぁ。

https://aot-portal.kdlab.dev/dmk

タイのお祈り風景

信心深い、タイの人々。
写真のような風景は当たり前のようにあります。神様が当たり前にあり、当たり前のようにお祈りしていく。神の存在を信じない。そういう人もいるのだろうけれど、日本よりも割合は少ないのではないかと思います。

この写真を撮ったときにふとあることに気が付いたんです。あれ? 日本と違うぞと。

並ばないんですよ。日本のように順番にお祈りして(お賽銭を入れるという文化はありませんが)、お祈りする順番がある、お祈りするのに行列を作るということがタイではない。これってすごいことで、好きな時に好きな場所でお祈りする。大切なのは信じる心なんだよ、そう教えられたような気がしました。

ナコンパトム寺院/タイ

本当にタイで一番高い仏塔なの?

本当?

っていう悪い癖がある。タイ人に対して疑っているわけではなく、ガイドがいうことを一度は疑ってかかるのが癖になっているのだ。国によるけれど、ガイドはウィキペディアを見ながら話していたり、最後に「私はそう思うんです」というガイドもいたりしますので。。。(笑)。あなたの想像をしゃべってもらっても困る、という笑いしか生まれないこともある。

今回も120mでタイで一番高い仏塔があるというのでワクワクしながら訪れたのだが、車から見たらどうもそんなに高く感じない、情報を盛ってない?という感情が生まれたわけです。イメージは東京ディズニーランドの中央にある城くらい。たぶん城は地上30mくらいなものでしょ。この仏塔がその4倍もあるか? 東京タワーの約1/3の大きさもあるかと疑いの目しか生まれない。ガイドにもう一度聞くと、「ここが一番高い、120m」と答える。あー、ガイドとのこんなやりとりは人生であと何回やるんだろうか。

塔を見ると誰しも思うことをガイドにぶつけてみる。「登れるのか?」と。しょうがない、バカは高いところに上りたがるし、なんといっても、仏塔からの景色はそれはそれは素晴らしいはずだし、何といっても高いところに上ってみたいし(笑)。

登れません。

ぴしゃりと答えられた。たぶん、ガイドの彼も、月に何度も繰り返す会話なのだろう、この日本人も「登れないのかと聞くと」。日本人は仏塔に上りたいものなのか、と誤解すら生みかねない。

まぁ、しょうがないのは重々承知なのだが。仏塔にはお釈迦様の骨が埋められていたり、ラマ何世という高貴な方の遺骨の一部が埋められていたりする、神聖なもの。そんな場所にタイ人ならまだしも、外国人がどかどかと登っていくのは、まぁあり得ない絵ではあるわな。

この塔には遺骨は埋められてないものの、神聖なものには変わらないわけで登れないとの答えだった。

よく見ると、電飾のため(もしくは避雷針の機能として)の電線が仏塔に這わせてある。ということはメンテナンスのときに電気工であれば登れるわけか。仏塔からの景色を眺めるには電気工になって、交渉してお寺のメンテナンスを請け負うまでになればみられるわけか、、、と変な算段をする。10年はかかるな。。。。

それなら、タイならではの「アンダーザテーブル(袖の下/賄賂/お礼)」をしちゃったほうが早いと思い至り、ガイドにお金をお寺に渡せば登れるか?と聞いてみたら、

「登れるかもしれない。でも、ものすごく高いよ」と(笑)。おいおい、仲介する君もマージンを取ろうとしてるよね。まぁ、しょうがないことだけど。

で、いくらなの?と聞くと、しぶしぶ提示してきたんだけど、その金額がね、出そうと思えば出せるしという、いいところを狙ってくるわけですよ(笑)。1万バーツ。日本円で35,000円。それでもちょっと高かったので、7000バーツにならない?と持ち掛けるとこれがあっさりとOKをもらいまして。

いざ、社務所のような場所へ。

えらいお坊さんのような人が出てきて、サクッと手にお金を握らせて「登っていいよ♪」となるかと思ったら、事務所のボスのような男性と話している。途中、俺のことを指さしながら、交渉をしているのだけど、何度も聞き返しているわけです。それで二人で指をさしながら、仏塔を望んで、「あれ?」「うん、あれに」というようなやり取りをずっとしている(笑)。

で、彼の首が左右に振られたわけです。あーダメだなと、直感しました。

ガイドは残念な表情を浮かべながら帰ってきて、「ダメだった、登れない」と。

その理由がもう、最高でした。

登らせてあげたいんだけど、階段につながる鍵をなくしちゃったんだ。鍵はまだ見つからないし、スペアもない。だから登れないってことでした。

なんともタイらしいというか、鍵があったら登らせてくれたのー??

ガイドさんもしっかりしていて、お金を返してというもの、「お金って何のこと?」というジェスチャー。

というのは冗談で、全額返してくれたけど、「200バーツ」といって手を出したときの目はタイで一番鋭かったな(笑)。